恐 山平成26年9月6日

天候(晴れ)                            青森県

 

宇曽利湖(外輪は宇曽利山)


 「862年、慈覚大師円仁は東へ向かうこと三十余日、霊山あり
          その地に仏道をひろめよ」との夢のお告げに従い諸国を行脚
                 そして辿り着いたのが、この地恐山であると言われている」

むつ市街から恐山霊場に至る恐山街道(青森県道4号)には途中、
湧き水
恐山の冷水(ひやみず)がある。飲めば若返る名水と言い伝えられる







 

三途川                         石   像


三途川の向こうには、あの世が在ると言われてる
私は橋を渡り恐山へ向かった。







 

道 標                          宇曽利湖はカルデラ湖です


恐山は江戸期以前より、地域の住民の信仰の対象であったと考えられるが、
近代に入ってもそうした信仰は継続していた。
この土地の様子を伝える、明治期の早い時期の記録の一つとして、
作家
幸田露伴が明治25年(1892)に訪れたおりに記した、紀行「易心後語」がある。






 

恐山正門                        地蔵さん


恐山の入山料は¥500です






 

通 路                                菩提樹


奥には本尊
地蔵菩薩を祀る地蔵殿が在ります








 

至る所に供養地蔵があります              みたま石


私は霊感が強く今までも不思議な現象に遭遇してます
恐山に来て体に変化が起きないかと言う事も考えながら順路を回りましたが刺激されることはありませんでした。







 

無間地獄                       太師堂


火山石の様な岩が至る所に積み重なってます








 

永代供養碑                     永代無縁碑


通路には小石や小さな地蔵さんが置かれてる
訪れた人が供養や色んな思いを込めてお供えしたのでしょうね!








 

石像と石積                          英霊地蔵尊


急ぎ足で進むも地蔵さんの姿を見ると立ち止まり手を合わせました









 

奥に極楽浜                      地蔵様


順路を進むと極楽浜へ着きます
素晴らしい風景を眺めていると霊場に来たことをも忘れて暫し佇んだ。









 

賽の河原                          血の池


血の池では出産のおりに死んだ女性の供養が!
賽の河原では死んだ子の供養が行われていたことも知られる







 

恐山は森に囲まれてる!                金堀地獄


外輪は
釜臥山、、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の
八峰を「恐山」と言う。







 

重罪地獄                       修羅王地獄


硫黄の臭いが立ちこめる通路を進みます







 

恐山順路の最後の風景


恐山といえば、死者の言葉を伝える“口寄せ”を行うイタコを思い浮かべる人も多いだろう。
実際、参拝や観光ができる5〜10月の開山期間の問い合わせは約9割がイタコ絡みだというが
、寺は取り次ぎをしない。 「イタコと恐山菩提寺には何の関係もありません。
雇いも契約もありません。イタコは個人のかたが家業でやっていて、
大祭があると、いわば出張営業に来るわけです。
言葉は悪いが、縁日の出店みたいなもの。われわれは集まって来るものを拒まないだけなのです。」
 また、ある新聞が行った
パワースポットのアンケートでは、1位の伊勢神宮に次ぎ、
恐山は2位に選ばれた。ところが、「ここはパワースポットとは真逆のパワーレス・スポットですよ」といい切る。
「恐山が霊場であるのは、パワーがあるからではないんです。
逆に、力も意味もないパワーレス・スポット、いわゆる巨大な空洞だからこそ、死者への感情を入れることができるのです。」
恐山には供養の仕方や教義の決まりは一切ない。供養に来た人が自分の感情に任せて、
自分の信仰を作っていくだけだ。この無こそが、1200年も霊場たり得た理由だという


上記は恐山菩提寺住職のコメントです


記録の文面の一部は恐山ホームページより引用させて頂きました


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