雲洞庵  令和1年11月23日

天候(曇り)             新潟県南魚沼市雲洞660                  日本一の庵寺

 

庵内の石畳

雲洞庵はさかのぼること1300年前の奈良時代に、時の内大臣藤原房前の母親が当地に湧き出る霊泉で多くの人々を救い、ここに庵を結びました。
その菩提を弔うため藤原房前(※1)が養老元年(717年)に薬師如来を本尊とする金城山(※2)雲洞庵を建立したのがその起源とされています。
この金城山という名前は、藤原房前が当地を訪れた際、朝日で金色に映える山が黄金の城に見えたことから名付けたと伝えられています。
以来、藤原家の尼僧院として庇護され600年間に亘り栄えました。

新潟県HPより




 

庵入口                           境内の門


 

赤   門                                 石    畳

昔から越後の国では「雲洞庵の土踏んだか」と言われ
篤く信仰されて参りました




 

赤門の仁王様                                仁王様




 

境内の石畳

石畳の下には、一石一字ずつ法華経が認められて埋められており、
この石畳を踏みしめてお参りすると、
罪業消滅・万福多幸の御利益に預かると信仰されています。




 



 



 




 



 

本  堂

室町時代 永享年間に上杉憲実公によって建立されました。
その後、江戸時代 宝永四年に廿四世によって再建され現在に至っています。
新潟県出雲崎の小黒甚内を棟梁とする大工の名匠たちの手によるもので、
間口14間、奥行10間半の本堂は、近世寺院建築の最も優れたものとされ新潟県の文化財にも指定されています



 



 




 


最上段には初代開山 顕窓慶字大和尚、
挿草開山 傑堂能勝大和尚(楠正成公の孫正勝公)、二代目 雲窓祖慶大和尚の木像と位牌を祀り、
各段には歴住諸大和尚の位牌を安置しています。
また、前面には当庵建立者・上杉憲実公の木像と位牌、上杉謙信公と徳川家康公の位牌も安置しております。

上記文面は公式HPより








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